…昨日17日に106回目のブログを公開して、ひらめいたことがあります…私のブログ当番が2ヶ月(9週間)に1回となり、今週中に1度公開すれば良いとの義務ですが、いや、待てよ、今週いっぱいが私の出番…ということは、今週中なら何度能書きを垂れても良い…ということでもあるな~等と思い立ち、それならば連発もありかと思いまして…ささやかな四方山話に入り込んでみましょう…
…「四方山(よもやま)話」…山好きな私の解釈では、四方の山々に登ったときのオハナシ…と言うことになりそうです…しかし山々で出会う人たちのお話は「山」が主役…もっとも。宮城県にも「四方山」というのがありますが、こちらは「しほうさん」と呼びますが、私は未だ未踏…まっとうな解釈では、何でも言いたい放題の「雑談」…ようは、さほど重要でない「おしゃべり」と言えましょうか…
…只今、6:45分、ここで、愛犬の散歩にお出かけします…
…2025年3月18日、朝、7時の様子でして、「河津桜の残姿」を未練たらしいと感じるか、「名残桜の侘び寂び」として感じるかは、アナタ次第(=_=)
…このメンバーは、早朝によく出会う犬仲間…愛犬ハッピーは本日、左端の女性に全身をサマーカットにしていただくことになっておりますので、明日以降の愛犬は「改心坊主」になって世を闊歩します…
…大脱線しました…元に戻しましょう…
…四方山話と言うと、私のブログそのものですから前段のハナシの続きです…昨日は、稀代の宰相と言われる田中角栄について触れました…関連して石原慎太郎のことにも触れました…が、この方達は政界の表舞台を飾った人たち…方や裏方に徹し、正義をまっとうして見事な幕引きをした政界の暴れん坊…ハマコーこと、浜田幸一についてもオサワリしながらご紹介しましょう…彼の論法は、良いもの(者を含め)は良い、悪いものは悪いの判断が凡そ政治家らしからぬ純粋な行動へと繋がりましたから、庶民には分かりやすかったですね…
…その視点から政界の裏側、表側に隠れた真実…これらも検証してみたくなり、田中角栄本と前後してハマコー本も2冊購入しておりました…
…左側の2冊がそれですが(いずれも古本、真ん中は1円、郵送料が250円(鬼嫁はこの本を見た瞬間、汚い~だと(-_-;)))、日本では年間に80本前後の法律が成立するものの、ほぼその全ての法案は与野党の主張を足して2で割って、やっとこさ日の目を見るという玉虫色の法律が多いと言われております…その点、ハマコー節は分かりやすかった…面白かった(人間として)…と言うのが多くの高齢者の感想ではなかろうか…
…ここに取り上げた「日本をダメにした九人の政治家」では、それぞれの政治家が保身に走り、日本と日本国民のこと考えて行動していないと断罪し、「おまえらはヤメロー」とハマコー節を炸裂させているのです…とはいえ、こんな30年も前の「本」を読んで何になるのか?という批判もありましょうが、30年~50年前の政界・財界の表と裏の舞台ということは、それすわち歴史の一部とも言えます…私たちの生活に密着して経過した政治・歴史の近代史に触れることは、悠久の歴史学ぶ事よりも価値あることと思い馳せ、貪欲に貪り読む次第…
…後続する「日本を救う9人の政治家とバカ1人」でも同様の事が言えますが、両書とも、断罪される政治家、賞賛される政治家、それぞれバランスがとれておりまして…この書のタイトルにある…バカ1人…がハマコー自らのことを指していることは言うまでも無いことですが、ハマコーこと、浜田幸一は秀でて有能な政治家であったことは、上の写真2冊を読んでみるとよく分かります…なにより予算委員会の委員長も経験しており、その当時のテキパキとした進行手腕に舌を巻いたことさえ思い出せます…
…内容と時間の都合、両書の内容転載は控えますが、愛読している月刊誌「致知3月号」に、強烈なほど「ひたむき」に、いや、死に物狂いで人生にチャレンジしている若者が取り上げられていましたので記事をご紹介しましょう…
──庄司さんが手掛ける東京・代々木上原の「été(エテ)」は、一日一組限定のレストランとして話題を呼んでいますね。
エテは高校卒業後、フレンチレストラン2店舗を経て独立し、25歳の時につくったお店です。エテはフランス語で「夏」。無名だった当時、シェフの私と店の名前を最短で覚えてほしいと考え、このように名づけました。
オープン以来一日一組にこだわるのは、お客様に全力で向き合いたいからです。いつだってお客様あっての我われですから、目の前のお客様にいかに満足してもらえるか、それがすべてであり、どんな状況下でもこの店にだけは来たいと思っていただけるような唯一無二の存在を目指しています。
お客様の趣向を事前にスタッフで共有することはもちろん、「あの国を旅行した時の料理が忘れられない」など、時にお客様との何げない会話を汲み取りながら料理をお出しします。一皿をお客様と共につくり上げていく感覚ですね。
海外のイベントに出る関係であまり先の予約は受けていませんが、おかげさまで大体2か月先まで予約は埋まっています。
一日一組ということで、一生に一度の特別なタイミングで利用してくださるお客様も多いです。まさに毎日が勝負で、この勝負を逃したら死ぬと思って仕事をしろと、日々自分に言い聞かせています。
庄司夏子 しょうじ・なつこ
平成元年東京都生まれ。駒場学園高等学校食物調理科を卒業後、「ル・ジュー・ドゥ・ラシエット」「フロリレージュ」で修業を積む。26年24歳でパティスリー「フルール・ド・エテ」、27年フレンチレストラン「エテ」をオープン。「アジアのベストレストラン50」において、令和2年日本人女性初の「最優秀ベストリーシェフ賞」、4年「最優秀女性シェフ賞」を受賞。
──料理の世界に入ったきっかけを教えてください。
きっかけは中学校の家庭科の授業です。シュークリームをつくった時に、オーブンの中で生地が膨らむ光景にいたく感動して、家に帰ってたくさんつくったんですね。それを友達にプレゼントしたら「料理人になったほうがいい」と褒められて、その気になったのが原点です。
調理科のある高校を出た後、高校の先生の伝手で、当時ミシュランの一つ星を獲っていた代官山の「ル・ジュー・ドゥ・ラシエット」に入りました。その後、店が閉じたのを機に南青山の「フロリレージュ」に移りました。
──修業時代に特に学ばれたことはありますか。
当時はとにかくついていくことに必死でした。早朝から終電の時間まで働きづめで、休憩時間もなければ、賄いづくり一つ気を抜けない。通勤の電車内で栗の皮を剥いていたこともありました。それくらい身も心もすべて店のために捧げていましたね。
確かに苦しい日々でしたけど、いま思えばあれほど追い込まれた経験があるからこそ、並大抵のことでは怯まない体力と精神力が身についたと思っています。だから座右の銘は「死にはしない」です。
──死にはしない、ですか。
いまだにピンチの時に、この言葉が頭に浮かぶんです。死なないならまだ頑張れるだろうと。この言葉が力になって、窮地を幾つも乗り切ることができました。
──一時は料理から離れた時期もあったそうですね。
はい。フロリレージュで働いていた時、父が危篤状態になったんです。私の妹は生まれつき重度の知的障碍で、自閉症と過食症、拒食症も併発していました。そのことに頭を悩ませた父は、ストレスから次第に飲酒に走り、アルコール依存症になったのです。
ある日家に帰って来たら、「お父さんはあと2週間で死ぬかもしれない」と母から告げられました。当時、妹は施設に入り、父と母と3人で暮らしていましたが、私は夜遅くに帰宅し、リビングで仮眠して出勤するような生活でしたから、父がそこまで深刻な状態になっているとは知らなかったのです。
とはいえお店が忙しく、スーシェフという責任のある立場を担っていたことから、ろくにお見舞いにも通えないまま父は息を引き取りました。22歳の時です。
死に目にも会えず、遺体安置所で冷たくなった父に触れた時、途轍もない後悔と恐怖感に襲われました。私は人として最低なことをしてしまった。このままでは、いつも応援してくれる母にも同じことをしてしまうのではないか……。それで、もう料理の世界からは身を引くつもりで店を辞めたんです。
──そこから再び料理の世界に戻ると決心されたのは?
店を離れたものの、顔見知りのお客様に頼まれて出張する形で料理を振るまうこともありました。そうするうちに、ふっとこの世界に入った原点が思い起こされました。目の前で喜ぶお客様と、シュークリームをおいしそうに頬張る友達とが重なったんです。その時、あぁ、私には料理しかなかったんだと気づきました。
───料理をする喜びに再び目覚めた。しかしなぜ独立を選んだのですか。
無理を言って辞めさせてもらった以上、店に戻ることも、他の店で働くつもりもありませんでした。再び料理をするなら自ら店を持つしかないと思い、2011年、22歳で独立したのです。
ところが、実績もなければ若い女性ということで、なかなか融資がおりないんですね。事業計画書をつくってプレゼンをしなければならない。料理しかしてこなかった20代前半の頃ですから、苦しかったことを覚えています。
やっとの思いで金融公庫から1,000万円の融資をいただきましたが、今度は本当に返せるのか、怖くて夜も眠れませんでした。もし失敗したら母に迷惑をかけてしまう。
それで、融資額と同じ1,000万円の死亡保険金がおりる生命保険に入りました。失敗したら死のうと思ったんです。
──後がない状況で、いかに経営を軌道に乗せていかれたのですか。
店はマンションの一室からスタートしました。1秒でも早く話題にならなければならないという切羽詰まった思いはありましたが、無名の女性がレストランを開いたところでお客様は集まらない。そこでまずはケーキを販売し、ブランドを確立した上でレストランを開業しようと考えました。
これまでのケーキの常識を覆し、見た瞬間にエテだと分かるような象徴的なケーキをつくろうと考え、思案の末に完成したのが、薔薇を象ったマンゴータルト「フルール・ド・エテ」です。
案の定、見た目の華やかさ、目新しさが話題となり、徐々に注目を集めていきました。さらに、メディアにはこのマンゴータルト一点に絞って露出しました。「マンゴータルトと言えばエテ」という印象をつくりたかったのです。
そうした戦略も功を奏し、テレビ放送が重なったタイミングでウェブサイトにアクセスが殺到。「予約の取れない幻のケーキ」と評判を呼ぶようになりました。タルトの人気に火がついたところで追加融資も受けることができ、2015年、25歳でフレンチレストラン「エテ」をオープンしました。
オープン後は経営が苦しい時もありましたが、乗り越える上では、納得のいくものだけをつくり続けたことが大きかったと思います。振り返ると、これは利益が出ないなという仕事もたくさんありました。ただ、そういう時でもお金に糸目をつけず、納得のいくものだけをつくってきた。すると、その場では全く儲からなくとも、確実に評価には繋がって、後の成果に結びついたんです。
──ご家族の存在も大きかったのではないですか。
そうですね。申し上げた通り、妹は知的障碍に加え、自閉症、拒食症、過食症を患っており、一緒に住んでいた時は意思疎通など全くできない状態でした。家の中は常に混沌としており、父のみならず、母や私も相当頭を悩ませました。振り返ると、あの時は私たち家族にとって地獄のように苦しい時代でしたね。
そんな中で思春期という多感な時期を過ごし、父も亡くしました。だから正直、当時は妹の存在を疎ましく思うこともありました。けれども最近になって、あの大変な時期があったからこそいまの自分があると、ようやく前向きに受け止められるようになりました。妹のおかげで、どんなに苦しい仕事も乗り越えることができたんだって、気がついたんです。いまでは妹に感謝しています。
店の人気のきっかけとなったマンゴータルト「フルール・ド・エテ」
──2022年には、アジア最優秀女性シェフ賞を受賞されました。
庄司さんの考える、道を切り拓く上で大切なことは何でしょうか。
何かをしようとする時、2つのパターンの人間がいると思っています。ダンス教室に通うAさんとBさんがいて、Aさんはダンスレッスンだけ、Bさんはレッスンを終えた後も四六時中ダンスのことを考えている。どちらが上手くなるかといえば、当たり前にBさんなわけですよ。要するに、目標に対してどれだけの気持ちと体力を注げるかだと思います。
私は起業の経験を通して、世界を変えようと思ったら命を懸けないといけないと学びました。仕事に集中している間、当然友人と会えない寂しさもあります。結婚や出産、周りからいろいろな報告を受けるのですが、いまは脇目も振らず前進する時だと割り切っています。本気で世界を変えようと思うなら、人並みの幸せを諦めなければならないこともあるんですね。
それでも続けられる理由は、全身全霊を尽くして仕事をし、お客様からいただく感謝の言葉です。
どんな辛さもあの瞬間の幸せには代えられません。
──次なる目標は何でしょうか。
次世代の繁栄です。いま、料理人や生産者の後継者が不足しています。そこで特に力を入れているのが、アーティストとのコラボ商品の製作です。おいしい料理をつくることは料理人として当然の義務ですが、その上で、料理以外の影響力も活かしながら幅広い層の若者に料理の魅力に気づいていただきたいと願っています。
そして何より、私が一日一組のレストランで成功することで、若い料理人の方々に新たな道筋をつくりたい。資金に乏しくても、最高の料理をつくれば成功できるということを証明したいと思っています。そのためにも、まずは目下、世界の最優秀女性シェフ賞の受賞を目指しています。それが世界中に自分の声を届けるパスポートのようなものだと思っていますから。
最近は個人の庄司夏子がどんどん消滅して、最終的にはエテの庄司夏子でしかいられないなと感じています。とにかく、店やこの世界を発展させること以外に興味が湧かない。それ以外のことに脳みその1%も使いたくないんです。頭も体も動くうちに、一日一日前進したいと思っています。
…と言うことで、この記事を読んだ時の私は、穴があったら入りたい…という我が身の反省、反省、また反省…「君子は日に三省」す…言われますが、私は75歳になって、やっと3度反省…どうりでね…
…ともあれ、今日は10時から愛犬のサマーカット、11時半からの出勤予定ですから…今からシャワーを浴びて早めの昼食をとり、回りが私の味方だらけの「戦場?(~o~)?」に向かう準備をします…
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