…さて、私のブログ回数が還暦(60回)を迎えました…この間、約1年半…ブログの内容や社会を通観する私の感性や眼は少しは成長したのでしょうか…んっ(-_-;)…頭ですか~_(._.)_それは無理に決まっています…ボケの進行を遅らせるので精一杯ですからね… とっ…(T_T)
…そんなことをほんの少し考えておりましたら、NHKのニュースのせいでしょうか…思考のターゲットがいきなり飛躍しまして、人間は何故にこうまで戦争を繰り広げるのであろうか(-_-;)との疑問が湧き、このブログ打ち込みに向き合う時間が沈痛な重さを持ち始めました…事の善悪はともあれ、歴史的な葛藤や利害、そしてお互いを憎み合うという負の連鎖に蹂躙され続けているパレスチナとイスラエル…イスラエルはキリストの生誕地とされ、ユダヤ教、イスラム教という一神教の「聖地」としての巡礼地です…天上天下、神聖この上ないと言われる土地が何故にこうまで「血」で「血」を塗り重ねるのでしょう…紀元後、ずっとです…その前のことは分かりませんが…
…ともあれ、今回については、形の上と申しますか、きっかけとしての発端はハマス側が仕掛けた戦争(一部ではテロと言われていますが…)と判断されていますが…元はと言えば宗教問題と領土問題が歴史上の争点であり、果たして、この争いの芽、終着点の見えない現在進行形の殺戮回廊…何とかならないものかと、ボケた頭で考えるには荷が重すぎるこの難題を、「人間性」という視点で…私たち人類が生れおちてから備わった「善性」を頼りに、お互いを分かり合うための話し合いで纏めることは出来ないのでしょうか…_(._.)_
…同じ神を崇めながら、お互いを異端と決めつける宗教国家同士です…こうなると崇高なはずの宗教が原因で憎しみの応酬戦となり、「争う」ということを宿命として足枷的に血塗られた遺伝子の禍(わざわい)とでも言えそうな現象です…視点を変えると、戦争というのはコロナのような疫病の蔓延より効果的に生じる人口増加抑制機能のように映ります…
…地域的に生じる紛争や国家的規模の戦争…その殆どが人間の感情を出発点としているようにも思われます…言うまでも無く、金儲けを崇高(?)な目的とし、紛争や戦争が勃発するその前段階で、いや、争いを起こさせるために…紛争や戦争を起こさせるために練られる悪魔のような者たちの暗躍をその淵源とするエネルギーが波動となって憎しみが増幅するという構図もあるでしょう…いずれにしても全ては人間の性(さが)が分水嶺になってると言えます…仕掛ける金儲けと、仕掛けられた憎悪の連鎖…
…この、人間の性…人間性とは何でしょう…漠然とした時代感覚ならば、おそらく言語が発達していなかった数万年以上も前から、人間とはなんぞや…を感覚的に考えていた人も居たでしょうが、その事実を探れるのは人類に文字が生まれた紀元前4世紀頃から現代までの僅か数千年前からです…
…シュメール人によって、人類史上初めて使われたと言われる絵文字の世界においても、戦争はイカンよ…という戒めが書かれていたはずでしょうが、哀しいかな人類の発展と歴史は殺戮を源泉として刷新されてきたとも言えそうです…戦争はいかんいかん…との数千年の願いは重ならないのでしょうか…
…近代においては、無差別的に多くの人命を殺めた者であっても、国家単位の勝敗においての勝者国の国民は一等民族、その指導者や実行者は英雄として賞賛されます…こんな馬鹿げた評価があるでしょうか…
…果たして…人間とは何なのでしょう…
…こうして、人間性という課題を傍観してみますと、人間とは何なのかという不明瞭な塊でありながら一方では崇高な精神世界の創造者としての一端が顕れてきます…
…自分とは…人間とは…人間性とは…この課題はほぼ全ての「人」が人生において何度となく考えることとなるブラックホールのようなものです…中には答えが出ないことに悲観して自ら命を落とす人も居ます…
…もちろん…人間とはこうだ…と断言した歴史上の偉人も少なくありません、と言うか、山のようにいます…逆に人間の性を断定せずに、釈迦やキリストを代表として、人間性を高める教えの普遍化に生涯を捧げた聖人や偉人も数多く輩出されました…歴史に埋もれた思想家も山のように居ます…芸術家や文学者、宗教家、およそ人が生活するそこここに散見されます…
…断定派の例としては、人間の性善説を説いた「孟子」がいます…孟子は、「人には皆、他人の不幸や命の危機を見ながら見ぬふりをすることには耐えられない「心」がある」と説きます…日本語的(仏教用語かな?)には「惻隠(そくいん)の情」に代表される「心の様相」とでも言うのでしょうか…
…逆に、人間には自分を律する自律力が無い、と言って人類の「性悪説」を説いた「荀子」が決めつけ派の一方の雄です…「荀子」は人間の性悪さは生れ持ったものだからどうすることも出来ないとでも言って居るように思われます…しかしそれでは不味い(-_-;)…とでも考えたのでしょうか…「荀子」の弟子の「韓非子」が、「法」によって人間を律すれば良いのだと説きます…ここにおいて、どうにもならない人間の性悪さが「法」によって制御されるシステムができあがりました…法治という概念での人間統治です…
…しかし、この「心の法治」というシステムが壊死してしまうのが、たった一人の為政者の判断で開始される戦争であり、無差別殺人です…約80年前、日本も経験しました…B29による絨毯爆撃や原爆です…もちろんそれは戦時においても重悪犯罪です…しかし、戦争に勝てばその指示者も実行者も英雄です…今や西側陣営から戦争犯罪人として国際的に指名手配されたプーチンも、勝てば英雄です…
…こんな馬鹿げた構図…果たして…止める手立ては無いのでしょうか…
…後人の叡智に期待するしか無いのでしょうか…
…今、出来ることは無いのでしょうか…
…無くは無いでしょうね…普遍性のある人間の「こころ教育」とでも言いますか…全ての国の教科に「こころ教育」的な科目があって、その骨格を「惻隠の情」とし、その他のページはれぞれの国の事情によって創作する…バックボーンは命の大切さです…ふむ(-.-)…夢じゃな…
…で、教育と言えば、現況教師数を維持しながら教師の労働時間を、労働基準法上の労働時間内に収める必要から創設された「ゆとり教育」…そりゃあ当時のこども達は喜びましたよ…しかしこの「ゆとり教育」の反動は大きかったですね…
…「ゆとり教育」導入の少し前はまで、道徳教育の名残も有り、ジャパンアズナンバーワンと言われた日本の実質的な経済力は今や先進国中最下位です…GDPの世界第三位をもっても、日本人の人格形成面においても未来が見過ごせない暗雲に包まれているように思えてなりません…この二方面における構造基盤を刷新するための手立てが「こころ教育」の導入だと感じる今朝のひとときです…
…こども達の未来能(脳に関しては10歳頃までが成長ピークとか…)力を高めるためには小中学校時代の身体と頭脳の鍛え方が何より重要視されるべきです…その時期を逃しては、日本人の未来能(脳)力を高める為の時間は子供時代の数倍程度必要になるでしょう…これは科学的にも証明されている事実ですから、「ゆとり教育」そのものの見直しが必要になります…教師の数も増やせば良いのです…そして子供を持ちたいと思える環境整備…お金はかかります…その為には、高齢者も我慢しましょ…歩み寄りましょ…
…とにかく、日本人全員が変わらなければなりません…特に大人から…人間性も高めてゆきましょう…
…その為の指針として、東郷平八郎、伝と言われている「五省」をご紹介しましょう…
① 至誠ににもとるなかりしか
② 言行に恥ずるなかりしか
③ 気力に欠くるなかりしか
④ 努力に緩みなかりしか
⑤ 不精にわたるなかりしか …と、まあ、日々、自分自身に問いかけている次第…
…んでもって、その思想を愚妻が愛犬に問いかけている一幕を切り取り、貼り付けます…
…この間も朝の冷気に包まれながら、良い書物に囲まれておりまして…ありがたやありがや(*^_^*)
…と、いうことで、一気呵成のブログは粗いねえ、でもタイムリミット、今日はここまで~。
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